きょう(4/8)は、天気のいい日曜日です。
午前中から、ジムに行って、ランニングの後は、筋トレして、のんびりとお昼を過ごしています。
土曜の夜は、iTunesで、ハワイのJAZZラジオ局Anuhea(アヌヘア)を聴きながら、読書で夜更かししました。
(アヌヘアは、「涼やかでやわらかな香り」という意味)
『岡本太郎の本 呪術の誕生』。岡本太郎との「出合い」は、大阪万博の太陽の塔です。子どもだった私は、当時実際に訪れて、太陽の塔の中にも入りましたし、塔を囲んでいた、今はない空中回廊からも眺めました。当時ブームだった、太陽の塔のペーパーモデルを作ったりしました。
岡本太郎は、アバンギャルド芸術にくくれる芸術家ではないでしょう。
本書の「夜の会」では、
<夜を否定する--
それが「夜の会」だ。
否定されることによって、夜はいっそう暗くなる。
(後略)>
と、職人芸のみ、手先の熟練に耽美する芸術家を「手工業時代の遺物」と否定して、「ひろい世界観を土台とする新しい飛躍には、まったく無能である」と、アバンギャルド宣言しています。
同時に、「芸術のメカニズムは、のっぴきならない矛盾をはらんでいる」と述べ、「芸術は呪術である」と言う。自分自身との対面、悔い、迷い、疑い、人生とまともにぶつかることを通して、自分自身と妥協しない信念、生き方を見いだす「人間誕生」と「呪術誕生」を、一つに融合させています。
そこに、アバンギャルド芸術とともに、縄文の力強さを感じて、魅かれるような気がします。
岡本太郎を読んでいる合間にひと休みして、興味を引く書物を探したら、こんな本がありました。
『交錯する世界 自然と文化の脱構築 フィリップ・デスコラとの対話』
(秋道智彌編、フィリップ・デスコラ寄稿、京都大学学術出版会)
京都大学学術出版会ホームページの紹介文に、
<フィリップ・デスコラは,「自然」という概念そのものが,社会,特に西洋社会の産物であり,(それをデスコラは「自然主義」と呼びます),その自然主義を克服することが必要であると説きました。>と書いてあります。
なるほど。
<デスコラの言う「自然主義」を越えるとして,その先には何があるのか。私たちは人間中心主義を捨てて,では非・人間中心主義とでも言うべき立場にまで立てるのか? そのように根源的に問うてみると,デスコラが避けているテーマ,無視している事柄があることに気づきます。>
ほおー。それで?
<デスコラの提起したテーマを,哲学,芸術学,医学,美学,宗教学,地理学,思想史などの広範囲な領域へ拡大し新しい時代に向けての新しい考え方を構築するための挑戦。>
そういう内容の本だそうです。
5,292円。うーむ…。
京都大学学術出版会ホームページの紹介文はコチラ。http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=2236